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三重大学工学部同窓会. Powered by Blogger.
2018年7月11日水曜日

電気工学科5期 中部(地区)の同窓会 2018/4/7開催

今年は新年度最初の土曜日4月7日に、電気工学科5期中部の同窓会が、時間通り全員が集合、お決まりの挨拶「皆さん、今年も1年間ご無事でなりよりです。乾杯」で始まりました。
今年で同窓会は5年連続の開催になりました。
今年の会場は、名古屋駅前の名古屋ビルディングB1F「柿安本店」。毎回会場は変えるも、時間はランチタイムでおこなっています。なぜランチタイムかは、あとで説明しますが、ランチを食べながら、去年1年間に起こったことの簡単な紹介等を、みんなが自由にわいわいと話すフリートークが同窓会の主なイベントです。
今年は、たまたま2人方が初参加されたので、改めて全員が現状の自己報告を行いましたが、その他の話としては、今年は特にタケノコの当たり年で、たくさんとれるのでタケノコ掘りが大変だという話があちこちで話されていました。
 ランチタイムなので、時間が来るとお店の方から「そろそろお時間です」との案内が来ます。それを合図にお互い元気な様子を確認し合い、「それではまた来年まで、元気でね。」と散会になり今年の同窓会も終了しました。
中部の同窓会は、サラリーマン生活も終わりが見え始めたころ、「又同窓会やらない」との年賀状をきっかけに(卒業当初、しばらく同窓会をやっていました)、59歳の時に再開したものです。できるだけ多くの人が参加できる様にというコンセプト「参加に負担が少ない同窓会」を目指しました。
具体的には、少々遠くからでも来られる開催日時と場所、時間と費用はほどほど、参加に面倒な準備が不要、という条件を満たす、休日の、お昼に、名古屋駅付近、ほどほどのお値段での開催としました。
それ以後参加人数の減少もなく、冒頭でも述べましたよう、5年連続開催になっています。
数年前からは、参加者の中には、不思議と女性も参加されています。電気工学科5期には女子学生などいなかったような気がしますが・・・まあ細かいことは問わず楽しく、気楽に開催しています。
ちなみに5年が経ち、参加者13人の内、毎日が日曜日の人の割合(日曜日率)は6人/13人=46%と50%に近づいてきました。0%から始まったこの日曜日率が100%に向かうのは必至。50%近くになり、そろそろ新しいコンセプト、新しい具体策の同窓会の検討が必要になってきたと考えています。
最後になりますが、例年同窓会の開催日の日程調整は2月頃に始まります。もし参加できる方があれば、電気5期のクラス幹事である西井さんか、三重大学教授の松岡先生に連絡してください。


2018年7月8日日曜日
思い出のアルバム

平成30年6月30日に故富田宏三重大学名誉教授を偲ぶ会が名古屋キャッスルプラザホテルで行われました。
先生は昨年平成29年11月15日にご逝去され、近親者のみで葬儀が執り行われました。
享年94歳でした。富田研究室に関係が深かった大下昭憲三重大学名誉教授と吉野誠司先生から「富田先生を偲ぶ会」を是非開きたいという話が持ち上がり、大下先生が発起人、吉野先生が委員長として工学部電気工学科富田研卒業生を中心に参加を呼び掛けたところ1期生から18期生にまたがる50名近い卒業生が集まりました。富田先生のご子息の和之さん、直子さん、そして川口元一先生も駆けつけていただきました。
 富田先生は大正13年10月15日台湾に生まれ,昭和21年9月名古屋帝国大学工学部電気工学科を卒業され,同46年4月三重大学教授工学部に着任,同63年3月31日停年により退職されました。先生は工学部創設当初の教育研究体制不充分な時期であった昭和48年9月から4年間とその後の拡充期にあたる同58年9月から2年間の通算6年間工学部長を歴任され,機械材料工学科,電子工学科,資源化学科,大学院建築学専攻及び共通講座設置に尽力し,同学部の充実発展に大きく貢献されました。
 偲ぶ会に参加された卒業生47名中、特に1期生は6名、2期生は4名、3期生は6名、4期生は8名と約半分が工学部創設初期に学んだ方々でした。遠くは中国・北京から、また熊本や埼玉からも久しぶりに再会した仲間や川口先生、吉野先生と昔話に花が咲き、またそれより若い卒業生は大下先生と久しぶりの懇親ができました。先生を偲んで和やかで楽しいひと時で時間があっという間に過ぎてしまいました。皆さん口々に「この会を企画していただき感謝します」とおっしゃってみえました。これもひとえに生前我々が接していたころの富田先生のあの優しい笑顔やその穏やかなふるまいがみんなを引き寄せたのでしょう。
 全員で写真撮影を行った後同年代のクラスのメンバーで2次会、3次会、一期生は4次会まで繰り出したそうです。この偲ぶ会を機会により一層クラスや先輩後輩のきづなを深めていっていただければ富田先生も天国できっと喜んでみえると思います。
 これを機会に参加者に工学部同窓会へのご協力も柿崎同窓会長から依頼しました。数名の参加者が幹事になっていただけるとの嬉しい返事をいただきました。本当にありがとうございます。工学部同窓会では同窓会活動を活発化させるため昨年から10人以上のクラス会や同窓会、もしくは今回のような卒業生が集まる場合一人当たり2000円の補助をしています。今回は全額使わず、余った残金を同窓会に寄付しました。
 最後になりましたが、富田先生を偲ぶ会の開催にあたり準備等でお世話になりました大下先生、吉野先生に心から感謝申し上げます。



















2018年7月7日土曜日

 同人は,大正13年10月15日台湾に生まれ,昭和21年9月名古屋帝国大学工学部電気工学科を卒業し,同年10月から名古屋帝国大学工学部に於いて磁性材料に関する研究に従事し,名古屋大学技術雇,同大学研究補助員を経て,同25年4月文部教官に任命された。同28年4月同大学助手(工学部)に配置換となり,同29年8月静岡大学助教授工学部に昇任し,同39年10月山梨大学助教授工学部に配置換となり,同43年7月モンペリエ大学理学博士の学位を授与された。同46年3月同大学教授工学部に昇任し,同年4月三重大学教授工学部に着任し,同63年3月31日停年により退職し,今日に至っている。
この間,同人は,永年にわたって,電気電子工学の分野における教育,研究に献身的に努め,幾多の有為な人材を育成し,世に輩出した。同人の研究は,超高圧電子顕微鏡・走査型電子顕微鏡・走査型X線マイクロアナライザー等の各種電子線機器の開発研究,イオン衝撃型表面電子顕微鏡および低速電子線回折による表面の研究,電子線のコヒーレンス
・電子干渉顕微鏡・電子線ホログラフィーの研究など電子光学全般に関するものである。
同人は,特に,日本における電子顕微鏡学の先駆的な研究者の一人として,超高圧電子顕微鏡・走査型電子顕微鏡の開発に打ち込み,我が国の電子顕微鏡技術が現在世界をリードする地位を確立するに至るために,大きく貢献した。電子顕微鏡は,現在,ミクロな領域の極めて有力な観測・計測・評価手段として,工学・医学・生物学等を初めとする諸科学及び産業のあらゆる分野において不可欠な科学機器となり、社会に寄与するところ大であるが,同人の電子顕微鏡技術発展への寄与は極めて大きいものがある。
同人は,更に研究面において,電子線バイプリズム干渉装置をビームスプリッターとするオフアクシス電子線ホログラフィー法を開発した。現在,電子線ホログラフィー法は電子線の干渉現象を利用した超高感度計測法として科学から産業にわたる広い分野で極めて有効に利用できるようになったが,その技術の発展に同人の考案した手法が大きく貢献し,その業績は国際的に高く評価されている。また,電子線の干渉性を定量的に評価する方法を開発し,平成元年5月に日本電子顕微鏡学会論文賞を受賞している。
同人は,これらの研究の多くを産業界と協同で行うことにより多大の成果を挙げており,今日の産学協同研究の先駆的役割も果してきた。
また,大学の管理運営面においては,三重大学工学部長,同附属図書館長,同評議員,同学生部委員会委員,同公務員宿舎入居者選考委員会委員,同広報委員会委員,同附属図書館運営委員会委員等の要職を歴任し,大学運営の枢機に参画した。特に工学部創設当初の教育研究体制不充分な時期であった昭和48年9月から4年間とその後の拡充期にあたる同58年9月から2年間の通算6年間工学部長を歴任し,機械材料工学科,電子工学科,資源化学科,大学院建築学専攻及び共通講座設置に尽力し,同学部の充実発展に大きく貢献した。更に長年にわたり評議員として本学の運営に尽力し,特に全国的な学園紛争時,本学の機能も一時は麻痺状態となり,教育は勿論のこと研究体制作りさえも多大の影響を受けたが,同人は,紛争の収拾に身体を張って対処するなど,学内の正常化に献身的に努めた。加えて昭和55年4月から2年間は本学附属図書館長として図書館の充実並びに人文学部創設に伴う一般教育体制の確立に尽力するなど,三重大学の発展に貢献したその功績は多大なものがある。
学外にあっては,日本電子顕微鏡学会評議員,同学会関東支部評議員,同学会関西支部評議員,電気学会東海支部評議員等を歴任し,学会の発展に大きく寄与した。更には三重県公害対策審議会委員,四日市市公害対策審議会委員として,学識経験者の立場から自己のもつ学識を十分活用し,地域行政の面でも幅広く貢献した。
以上のように,同人は,教育者として,また,研究者として高等教育の発展と我が国学術の進歩,更には関係諸学会,地域社会の発展に多大の貢献をしたものであり,その功績は,まことに顕著である。



・日時:H30年9月~10月初めの土曜日の夕刻
・場所:三重の北部、名古屋近辺で一泊で行いたく考えます。
・川口先生、井先生、吉野先生コンタクト中です。
・費用は2万円くらい。
・10名以上になれば、同窓会本部より2,000円の補助が出ます。
・希望者は三重大経由で行く。
皆さんの多数のご参加をお願いします。。





https://mieunitecele.jimdofree.com/『三重大学工学部電気工学科 3期』 クラスのホームページ

2018年5月15日火曜日
    10人の応募者から下記の4人を選考しました。 
  ●工学研究科機械工学専攻 
  尾形優斗 君
 ●工学研究科物理工学専攻
  加藤夕奈 さん
 ●工学研究科機械工学専攻 
  宮脇優斗 君
 ●工学研究科建築工学専攻 
  今井菜月 さん
 に同窓会より各25万円贈呈しました。 
              
2018年4月25日水曜日


2018年3月22日木曜日
[大学・学科・氏名]     三重大学 大学院工学研究科 電気電子工学専攻 1年 福田 涼
[留学先]          アメリカ カリフォルニア州 シリコンバレー
[期間]           2018年3月11日(日)~3月18日(日) 1週間
[留学日程]         「SSISシリコンバレーツアー」へ参加
3月11日(日)羽田空港にてオリエンテーション、アメリカサンフランシスコバークレー着
3月12日(月)UCB Swarm lab.訪問、Autodesk Pier9 workshope、近郊観光
3月13日(火)Synopsys社訪問と討論、実業家・谷川秀行氏訪問と討論、Stanford大学観光
3月14日(水)Stanford大学INMP Lab.訪問とミーティング、Computer History Museum訪問
3月15日(木)Lam research社訪問と討論、Intel Museum訪問
3月16日(金)東芝メモリ北米開発センター訪問、Wrup up討論(まとめ発表)
3月17日(土)サンフランシスコ空港からロサンゼルス経由で羽田空港発
3月18日(日)羽田空港着
写真は現地時間3月17日東芝メモリ北米開発センター前
(中央前:自分、中央後:副社長、他同行メンバー)
[応募きっかけ・就職活動・自分という人間]
私がなぜ留学しようと思ったのか、について書く前に私が置かれている状況(就職活動)や自分について書きたいと思います。私は大学院の1年生であり、人生を決めるといっても過言ではない「就職活動」の最中です。今まで歩んできた人生。そしてこれからの人生。その方向を決めるために、自分の軸になっているものを探していました。私は高専出身なので、電気電子工学を約8年間学んできましたが、正直これからの人生はどんな選択をしても良いんじゃないかなあ~とか、どれでもいいんじゃないかなあ~とか、そんなふんわりイメージを持っていました。自動車?ロボット?IT?医療?化学?現代には面白いことが調べればすぐ出てきますし、入ってから何をするかなんてものは、希望通りにいかないことがほとんどだと思います。でも、その中で自分という存在は1人しかいないのだから、1つだけを選ばなければなりません。よくわからないなあ~、大手入ったら派閥とかあるんだろうし、エリートばかりだと自分がやりたいように伸び伸びできないだろうし・・・。そのような言い訳というか、悩みというか、ふんわりイメージを持っていました。その後、色々な会社の説明会を聞いていった結果、私はざっくりですが、自分の研究分野である「半導体」とものづくりの原点と考えていた「自動車」の分野で働きたいなと考えるようになりました。理由は、どちらにも自分が働いた時のイメージを持つことができたことと、単純に面白そうと直感で感じたからです。そして、本当はどちらがやりたいのかを確かめる為に私は行動しました。
まずは「自動車」です。やりたいことが本当に自動車なのか確かめる為に、トヨタ系列を中心に約1週間以下のインターンシップに合計4社参加しました。事前に考えていたように非常に面白い経験ができました。ですが本音を書くと、本気で叶えたい未来に向かうというよりは、トヨタ自動車の方針に沿って、その中でどうするかを考え実行していこうとする考え方だと感じました。各々の車載シートやブレーキシステム等の技術を活用して、これからも最先端の製品を生み出していく、という姿勢は素晴らしく感じたものの、チャレンジ精神の低さ、周りに合わせる古き良き日本企業の象徴だと思いました。特に感じたのは「電気自動車や自動化になった時にどうするのか」に対して、楽観的でチャレンジしないのかな、と思った点が疑問でした。また、周りの就活生もトヨタ系列という安定が約束された看板の下で、無難な選択をしてきていると感じました。彼らが悪いわけではなく、トヨタ系列にはそういう人達が集まってきて、社員にも多いんだと思った時、これは違うな、と思いました。出る杭は打たれる、風土があるところで自分はできないなと。私は主にトヨタ系列しか見ていませんが、自動車は違うと思うようになりました。そして次に、半導体をやりたいのか確かめる為に行動しました。
半導体分野は知っている人も多いと思いますが、過去の1990年代は日本が世界のトップを走っていました。当時では売上高のトップ10に日本の企業が半分入っていました。しかし、現在は東芝(東芝メモリ)の一社のみ。完全に日本が世界で負けた分野です。だから、安定してないし、将来どうなるかわからないと考えていました。だから、私の周りでも半導体関連の企業を選ぶ人達はほとんどいません。しかし、私は四日市の東芝メモリに工場見学した際、自動化された生産工場と世界最大のNANDフラッシュメモリ工場、そして働いている人々の活気を見たとき、その不安要素は大きく取り払われました。ニュースや周りの人が話しているような悲観的な内容ではなく、むしろ東芝と分社化したことによるメリットが大きいという話で、これからの未来を歩んでいく強い意志を感じました。また、私は半導体分野の中でも、半導体を生み出す為の半導体製造装置分野にも興味があり、工場見学しました。ここでの経験が今回の留学に繋がります。半導体製造装置を買う企業はどこか、それはAppleやIntelといったシリコンバレーにある世界トップ企業です。そこに納得してもらう製品を作るためには、圧倒的な技術を持っていなければなりません。だから、半導体製造装置を作る企業って面白いなと思うようになりました。韓国や中国といった企業がどんどん台頭してきている中でも、確かな地位を築き、本当に挑戦し続けている。そこが私に合っていると思いました。この半導体分野と半導体製造装置分野のどこかの企業に就職していきたいと考えるようになりました。そして、ふと思ったのです。半導体分野の企業に入った時、「敵はどこだ」、半導体製造装置分野の企業に入った時、「顧客はどこだ」、それはアメリカ、特にシリコンバレーにあるんじゃないかと思ったのです。このように、自動車と半導体で悩み、自動車は違うと感じました。そして、半導体では世界を見なければならないと感じました。

 [参加目的]
先に述べたように、私が半導体分野、半導体製造装置分野に就職した際、世界を動かしているシリコンバレーにある企業やそのような企業が生まれるシリコンバレーという場所を知っておくことが将来の人生において重要であると考えた為、このグローバル人材プロジェクトに応募しました。そして、半導体産業人協会(SSIS)が主催するシリコンバレーツアーに参加しました。より具体的な目的は、自分の目でシリコンバレーを体感し、「自分に足りないものは何か」、「どういう目標を持って頑張れば良いのか」をはっきりと自覚することです。

[訪問先で行ったこと・感じたこと・考えたこと]
訪問先は大学・企業・博物館の3つです。訪問先で学んだこと、経験したことについて述べます。まずはカリフォルニア大学バークレー校の井上隆秀教授より、「働き方改革とIoT」について学びました。

(井上氏の言葉解釈)“働き方改革により、帰れる時間が早くなったり、ブラックじゃなくなったりと利点がある反面、社会が回らなくなったり、個人の成果ばかりに焦点が当たるようになったりするという長所と短所がる。つまり、仕事と暮らし、勉強、社会制度等の複合的な改革を起こさなければ、実現しない。また、このような話はなぜ今でできたのか、それは自殺率や少子高齢化、GDPといった問題が引き金となって社会全体としての意識がここに向かったから。そして、これらを解決する引き金となるのがIoTやAIやRobotになるということ。ではその核心の核心は何か。それはAIやRobotがインターネットに結びつき直接状態や意志を伝えあい、行動する時代がやってくるということ。ものが人間に何もしなくていいですよ、という時代。で、IoTでは人間が作った事業等の境目が全て横に繋がり、知識だけでは負ける為、実行力が必要になるということ。つまり生涯学ばなければいけない。”

非常に濃密な話で、現時点で私も具体的にイメージができていません。ですが、一番感じたのは、人生において、常に学び続けることが大切であり、そうできない人間は今後淘汰されていくということ。つまり、今後は意欲を持った時に実現できる環境に身を置く、または作っていくことが大切であると学ぶことができました。そして、モチベーションを上げる方法は人それぞれだが、それを考えて行くことが働き方改革ないしは未来を考えることになるということでした。色々大変なことが起ころうとしているが、逆を言えば面白い時代が到来しているのだから、積極的なチャレンジをしていってほしいという話であり、勇気と希望が湧いてきました。
次に、実業家・谷川秀行氏から聞いた話はとても強烈なお話でした。シリコンバレーが有名になる前から、シリコンバレーで事業を始め、社長やアドバイザーを歴任された方で、日本人の中で一番シリコンバレーを知っている方でした。

(谷川秀行氏の言葉解釈)“自分は有名な大学を出てないので学歴がない。学歴のない人間がなぜ成功することができたのか。他人と同じことを絶対にしないこと、そして、その誰もがやっていない方法で勝つ方法を考え実践すること。そして、目標を持つこと。上手く行かなければすぐまた目標を立てること。自分が他人と違っていることは何かを考えること。英語はマストであり、本当に早く英語を勉強しろということ。英語でコミュニケーションができなければ、どれだけ優秀な技術を持っていても、使えない人間だと思われる。話せないやつはなんだこいつ、と思われるだけ。”

他にも色々な話を聞いたが、なんといってもシリコンバレーの地で、あのトヨタ自動車が進出するはるか前から事業をして、日本とシリコンバレーの架け橋的な存在であった方の言葉を直接聞くことができたのは非常に良い経験になりました。高圧的な方ではないですが、1つ1つの言葉が重いです。特に、私が今の時代の学生に戻ったら何をするか聞いたら、「大きな市場に向かえ」という話でした。その大きな市場に向かう中で、人とは違ったアプローチを考え、どんな勉強をしたらお金になるか、人生の使い方を考えるように教えていただきました。私がふんわりしたイメージで生きていることが恥ずかしくなりました。また、日本での英語の考え方ではいけないと痛感しました。英語ができて当たり前の時代にまだ日本では英語ができなくてもやっていけると思われているのが、遅いなと思いました。私も英語力には自信がないので、今後もっと普通に英語を勉強していけたらと感じました。

最後に、シリコンバレーについて、主にスタンフォード大学のSaraswat氏と西鋭夫氏からお話を聞きました。シリコンバレーとはどういうところなのか、なぜ起業するのか、その実態についてです。

(Saraswat氏と西鋭夫氏の言葉解釈)“シリコンバレーにはPeople, ideas, capitalがそろっているから起業家が生まれやすい。17000起業し、10000が倒産やどこかにいく。若い人々がアイデアをもち、そのアイデアに対してすぐにお金を出して育てようとする環境がシリコンバレー。大学の教授でも研究費を稼ぐために起業する。技術者としてやっていきたいなら、T型人間を目指すこと。そして、T型人間でも深い専門性を早くに学ぶことが大切。なぜなら、深い専門性があればいろいろな人と話すことができる機会を得られるから。”

やっぱりシリコンバレーはすごいなと感じました。日本でも産学連携や起業家養成の為のプログラムが最近多く見られますが、日本の場合はすぐに結果を求めたり、自由にお金を使えなかったりするケースが多いです。それは話の中でも出ていて、シリコンバレーには失敗してもいいからお金を出してあげるエンジェルがいるということ。日本にはそれがないから起業してもAppleみたいな会社は生まれないし、本当の起業はできないのではないかという話でした。また、私は西氏に、日本人について聞いてみました。以前、日本の旧帝大に行った時に感じたそうですが、日本人はとにかく勉強しないし、質問しないし、チャレンジしないからだめだと言っていました。なんと結論は、早く日本を出たほうがいいよ笑、ということでした。日本という環境は学ぶにも起業するにも適さない環境であるということでした。私は一理あると思いましたが、そうはいっても私は日本人なので環境のせいにはできないと思いました。世界を意識しながら勉強し続けていくことが大切であると改めて再認識しました。

[留学後自分の目的は達成できたのか]
他にも博物館、企業を訪問し、日本とシリコンバレーとの学生、大学、企業の違いをまざまざと見せつけられました。日本にいる時には、日本が世界的にも良い国だという刷り込みがありましたが、アメリカから見ると、日本の悪いところ、良いところが見えてくるとはっきりわかりました、そして、今回の目的は十分に達成できたと思います。
「自分に足りないもの」それは2つあると考えました。
=>・広い視野:「日本でどうあるべきか、今どうあるべきか」を意識することは可能性を狭めているだけたということです。どうしても日本国内でキャリアを考えてしまっている自分がおり、もっと時に身を任せた生き方でも良いんじゃないかんあと思いました。
・母国語以外の考え方:「英語が必須・・・だから勉強するはニュアンスが間違っている」んじゃないかと感じるようになりました。英語がなければ自分の目指したいキャリアを歩むことが困難だから、当たり前に勉強する。それくらい当たり前の英語であり、またこれからは英語+αの言語も話せないといけない時代になるのかと感じました。
「目標はどこにあるのか」
=>より具体的な目標は働き始めてから持つとして、それとは別に常に持ち続けたい目標を見つけました。それは自分の可能性を信じ、挑戦し続ける心を持ち続けることです。またその中で、自分にしかできない挑戦をすることです。人違う視点を持つ為には、人が見ている視点は知った上で更にその先を見ることが必要になると思います。その為、常に自分の考えに対して、理由や他に考えられることはないかを考えていかなければならないと思います。

[最後に]

この度は、貴重な機会を頂きまして、三重大学工学部同窓会に深く感謝申し上げます。ありがとう御座いました。これからもこの経験を生かして就職活動や研究活動に精を出して頑張っていきたいと思います。